裂織衣 / 秋の空
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澄んだ藍色の空に
鱗雲のような刺し子が浮かぶ
秋の空 の情景を想う 裂織の仕事着 に出会いました。
。。。
袖と身頃はそれぞれ
経糸には自家製でしょうか表情豊かな麻糸が用いられています。
緯糸には着古されてしなやかに育った藍木綿の裂糸に撚りをかけたものと、
時折り織り目の隙間からその豊かな表情をのぞかせる 麻の屑糸(苧屑=オクソ) とが1段ごと交互に打ち込みながら織り進められています。
(経糸の間に挿し入れることは難儀だったと思いますが、撚られた木綿裂糸と、麻の屑糸とがより強く結びついて、布目が詰まり雨風熱を防ぐことやまた、動き易さ=しなやかな着心地を求めたものかと察しています、貴重な資源の再利用の目的が先に有ってのことでしょうけれども結果的に美しい表情と機能を備えた布に。)
半纏や袖無しなどの裂織の仕事着は、
木綿の普及が遅れた東北地方および北陸以北など、日本海沿岸部の寒冷地各地域で見られます。(主には浜や海山での荒仕事のための野良着とされています)
緯糸の原料となる古木綿は、大阪など上方から西廻り航路の北前船で運ばれて、裂き糸となり
打ち込みながら織り上げることで目が詰まり、防寒、風、水、塵、棘、虫、日除など身に着ける民を心身共に守るために織られた衣です。
また、こちらの裂織の仕事着(以下 裂織衣)に出会ったときに一番印象的だった、裾や袖先に見られる生成り色の部分は、
麻の屑糸(苧屑=オクソ)を用いた オクソザックリ と称される織布 で織り始め(終わり)られています。
オクソは主に大麻を原料とし、麻皮を剥ぎ裂いて糸に績む時に出る 苧(オ)の屑 を元に作られる糸で、
経糸に用いるには強度不足ですが、緯糸に用いるには問題なかったようで、大麻糸の産地と深く関わりの有る地で苧屑までも無駄にせずに使われた事が伺い知れます。
例えば「 (青森県) 麻屑 麻屑は綿の代わりとしてドンジャにも入る。またサグリ、サッコリを作る場合、 木綿布の代わりに緯糸として使う ことも有った。
- 田中忠三郎著 サキオリから裂織へ P93 より抜粋 - 」
こちらの裂織衣の作り手の感性、それから古木綿よりは頑丈で有ったろう補強の意味合い、
そしてかつてより麻糸産業を支えたであろう 麻屑 を敢えて用いている様子から、麻糸に関わりの近い民で有ったこと
(かつては手首などに結んで邪気を避けたとされる麻を)衣の各入口に配したた意匠からは、神聖な意味合いを含めたであろうことも感じ取れます。
(ただし、意匠は後に一部地域での流行となって定着し、そして伝播して行く傾向が見られます、日本みたいな地続きの島国の場合はなおさら。)
袖や襟などの形に目を向けてみます。
半幅の平袖、平袖は襷掛けなどで袖のバタ付きを防ぐ必要が有ったため、仕事着の歴史の中でも古い時代の形に見られる形とされています。
(後に、筒袖やもじり袖など空気の流入を防ぐより動きやすい形へと移行していく前の古い形。また、多くは傷むと袖のみ取り替えられたりもしたようですがこちらはオリジナルの状態を保っているように見受けられます。ちなみに身丈の長さも同じく、下(中)に着るものの流通に伴い動きやすい短着へと仕事によっては後に変化して行ったようです。舟祝いなどの祝い着は除く。)
左右の袖の緯糸の色調が同じことからも(試しに袖どおしを付き合わせてみましたら緯の裂糸たちがピッタリ通りました、画像でもお分かりいただけるかと。)
元々、見頃と同じ幅で織り上げた生地を半分に切り分けて作られた袖で、
裂織の宿命でも有る 解れ を回避するために袖の内側部分にだけ予め麻糸を撚り合わせがっしりとした生成り糸によるまつり糸が見られます。
その上で、同じ生成りの麻糸で、労に耐えうる補強と装飾とを兼ねた 接ぎ合わせ縫い で袖付けと見頃の仕立てがなされ、
肩や首周りにはやはり補強のための美しい刺し子がなされて。
襟は カゲ襟(かけ襟) と呼ばれる仕立てとなり、分布としては、中下越地方の日本海側に多く見られた仕立て方のようです。
脇下は着物ですと女性と子供にしか見られぬ身八つ口(通気と可動をより良くするための脇下の穴)が、裾は馬乗り(スリット入り)で足捌きと衣服が裂けるのを防ぐ形に仕立てられています。
ちなみに、資料を読み進めると
新潟県佐渡島、新潟県西浦原郡(角海浜、角田浜、越前浜)に 同様の裾と袖先が白い織 を持つ仕事着が残されていました。
佐渡や角海浜では 裂織 のことを サッコリやツヅレ 、角田浜では サシモン 、と称されていたようで
技法で名付ける現代のものとは違った各地域それぞれの裂織に対する自由な呼称が有ったようです。
類に括ることの出来ぬ作り手の民それぞれの工夫も有ったことでしょうしまた、
民の手仕事は各地の人々と文化風習の往来で影響を受け、伝播したり同時派生した可能性ももちろん有ると思いますが
中でも興味深かったのは、西浦原郡の歴史を読み進めると共に、近隣各地の裂織に付いて調べたところ
こちらの裂織衣が持ち合わせる 刺し糸の用い方 や 袖や裾先に残されたオクソザックリ のルーツとされる地の仕事着の作りとが重なったことです。
こちらの裂織衣が作られたと思しき新潟県西蒲原郡の中でも角海浜には
天正18年(1590)、4年間の年貢免除をかかげて人々を集め村を発展させるように とする古文書が残されていることからも
越前や能登方面からの集団移住者も多かったようです(それは裂織が始まるよりずっと時代が遡る頃のこと)。
また、角海浜(かくみはま)は北前船の寄港地で、裂糸の原料となる古木綿が手に入り得た地となり、この地を
往来の有った佐渡を含むであろう越後地方の裂織の発祥地とする文献も見られました。
角海浜は、まくりだしと呼ばれる日本海からの荒波で地形が削られ廃村となった幻の地。
明治35年ごろまでは塩田なども有った様ですが多くの男性は漁を生業とした一方で、女性たちは機織りや毒消し薬の行商などで不安定な生計を支えたとありました。
(この衣の一部分に木綿以前より織られていた日本の原子布と言われる オクソザックリ が用いられていることも
そう言った民の移動とともに機織り文化への影響が有ったことを示してくれているように思われハッとさせられた次第です、今日に伝わる希少な日本の原始布の1つ、オクソザックリの仕事着の多くが越前や能登のものとされるため。)
とすると、用いられた素材や織りの技法から見るにつけ
越前方面の裂織文化と古代より続いたオクソザックリ文化が、佐渡を含む越後の西浦原郡周辺に移り住んだ民の影響で生み出された
裂織衣と考えることが自然かと思います。
。。。
最初はただただ美しさに心惹かれて手に取ったこちらの裂織衣。
山や川、そして海、厳しくも豊かな自然と共に生きたかつての民が生み出した各地の仕事着と、
その実と美とを追い求めた先人の残した資料に導いていただきながら、この裂織衣の生まれ来た地を探った次第です。
こちらの裂織衣の、使用感はあるものの極めて状態が良いことや(状態委細は当ページ下部キャプションをご参照くださいませ)
衣の姿と文献からの情報で鑑みますと、
然程身を動かす必要の無い(けれど身を動かさない仕事ほど寒い、そして暑い)小屋仕事や機織りなどが先ずは浮かびました、
あるいは土地柄、毒消しや魚などを行商する上で(売る仕事は女性が主だったそう)寒暖を凌ぐために織り出された、女性のための仕事着と考えるのが自然でしょうか。
一着あれば毎日着ても10年はもったとも言われる裂織の仕事着
嫁入りの折に持参するのが常だったとか、何とも慎ましやかでたくましくそして頼もしい衣。
かつての民の工夫と技量、身に纏う者への想い、結果的に美しいその佇まいは
(自身も含めて)いまを生きる者が見失っている大切なことを伝えてくれているようにも思います。
そしてさいごに 秋の空 と称したこの澄んだ青、
様々な藍のグラデーションと波頭のような縫い糸は 海の情景 だったのね、、と海の見えぬ地で生まれ育った私ようやく腑に落ちました。
北前船に積まれた荷と共に文化が往来した頃に
日本海沿岸部の越後(佐渡含む)の民が目にしていたであろう光景に、この幾度も水をくぐりしなやかに育った裂織着とを重ねて想いを馳せる次第です。
少しでも作り手の民の想いや工夫に近づくことで、ご興味お持ちの方へとお渡しが出来るなら幸いです。
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ー 参考文献 ー
・平凡社発行「仕事着-東日本編-」
・平凡社発行 別冊太陽 「日本の自然布」 および同書内 吉田真一郎著 近世日本麻布考)
・山崎光子著 裂織の通った日本海の道 : 越後のツヅレと能登のツヅレ
・裂織とは → Wikipedia 裂織 https://ja.wikipedia.org/wiki/裂織
・角海浜 → https://ja.wikipedia.org/wiki/角海浜
・北前船 → https://ja.wikipedia.org/wiki/北前船
・同手の刺し子と糸継ぎ、補強刺しが施された 袖無し の形ではありますが 新潟県立歴史博物館 に同手の刺し糸の衣が見られます。
裂織のツヅレ(袖無)新潟市西蒲区間瀬(旧巻町間瀬)山崎光子民俗服飾コレクション
紺の濃淡の裂き織り地をつきあわせ、自家製らしい白茶の極太の麻糸を露出させた様は一つの模様をなしている。さらに肩と脇あき部分の一面を埋める補強刺しもよく映えている。「丈夫でイバラさけるし、雨が降っても通さんし、暖かいし、薪(バイタ)かついだり、カヤ担いだりするにいい」と言われ、仕事着に欠かせないものであった。
採 集 地 新潟市西蒲区越前浜(旧巻町)新潟県立歴史博物館→ https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/112424
当商品ページ最終画像2枚は以下文献より、今裂織着との仕立てや意匠の共通点が有りましたのでお借りしております。
・・ 平凡社発行「仕事着-東日本-」P174 より 4-2 角海浜
・・ 山崎光子著「裂織の通った日本海の道 : 越後のツヅレと能登のツヅレ」P32より 図7-3-1 ,2 角田浜のサシモン
・・・同県 佐渡地方 にも角田浜と同様の刺し糸を持つ ニヅレ と呼ばれる 裂織(袖無し)や アキザッコリ(ミジカツヅレ) と呼ばれる同形の仕事着 が見られます。
また、福井県の仕事着にも同様の刺し糸補強を持つ オクソザックリ(こちらは全てオクソ) の仕事着が見られます。
各地同時派生でしょうか、それとも角海浜から渡ったかあるいはまたその逆も想像でき得ます、、それらは今後またご縁の中で近づいて行ければと思います。
(解釈が違っているようでしたら、どうかご教示を頂けますと幸いです。)
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● 裂織衣 / 秋の空
◎ 製作地域(推定) / 新潟県 西浦原郡(角海浜、角田浜、越前浜周辺)あるいは 佐渡島
19c末から20c初頭ごろ
経:麻
緯:古木綿裂き糸の撚糸(緯糸の裂き糸自体は織られた時期より更に古く幕末から明治期19c半ばごろかと), 麻の屑糸(オクソ)を用いたオクソザックリ
約 W95 × L111.5 cm(厚み約2.8mm)
* 全体的に状態は良好です。
使用と経年による 袖と裾のパイピング紺生地に擦れ、右前の裾付近の藍の裂織数カ所に解れ、左前裾内側生成りの端に解れ(ここで経糸が視られます)、その他小さな染みなどが所々に見られます。
(画像(あるいは実店舗)にてご確認くださいませ。)
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