藍玉手板(文久元年1861年)
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先ず初めに
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藍玉(あいだま)とは
藍の葉を発酵・熟成させた染料である蒅(すくも)を突き固めて固形化したもの。玉藍とも。
藍の葉を収穫して乾燥させた後、蔵の中で寝かせ、これに水を打って良く湿らせながら上下に撹拌し、約75 - 90日間発酵させたものを再び乾燥させると、無色の物質であるインディカンが酸化されて青色のインディゴへと変化して、その色が濃くなることで黒色の土塊状の物質が出来る。これを蒅(すくも)と呼ぶ。蒅の状態でも染料としては十分使用可能であったが、運搬に不向きであったために後にこれを臼で突き固めて乾燥させて扁円形の小さな塊にすることによって運搬を容易にした。これが藍玉である。
江戸時代以後、全国各地で流通に便利な藍玉の生産が盛んになったが、特に阿波藩のものは良質として知られ、全国でも屈指の産地として全国的に市場を有した。しかし、明治以後にはインド産の流入や化学染料によって人工的に藍色が出せるようになったこと、更に輸送手段の発達によって蒅の状態での輸送が可能になったことにより、藍玉そのものの生産は衰退していくことになった。- 以上Wikipedia 藍玉 より -
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江戸後期までは日本各地で 藍玉 による染織工芸が暮らしに近いところにありました。
こちらのお品物は、その 藍玉 の手板=見本帳と思われる物。
アブストラクトな抽象画のような文様がただひたすらに続く内容に心惹かれて手に取りました。
分けて頂いた方曰く 埼玉県行田市北河原 にて出会ったそうで
調べてみましたら 武州正藍染 で栄えた地、
お品物本体には武州を示すものなどは有りませんが少し近づいたような。
この見本帳に残された藍玉は経年も手伝い墨黒色と化しています。
武州の水は鉄分を多く含んでいるため
藍の色も褐色(かちいろ)と呼ばれる限りなく黒に近い濃紺が出せることが特徴
と有りました、もちろん回数を幾度も重ねてのことでしょうけれど。
かつては貴族たちの衣
褐色→勝色として武将たちの闘争具
農民の衣装(野良着)へ
そして現在では武道衣などとして
連綿と継がれて来た日本の藍染文化
藍の効能(防臭、抗菌、解毒など)も有り 身を守る ための場面で多く身に着けられて来たようです。
寒暖差の厳しい日本の藍染産業を支えるためにも欠かせなかった藍玉
この藍玉手板もある意味で本当の豊かさが有ったころの
名も無き民が真摯に生きた跡形と日本の染色文化とを残した稀有なお品物かと思います、
お目に留めて頂いた方の目と心とを養ってくれるような存在になれば幸いです。
* 古いお品ですので、虫喰い跡や折れがございます。
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● 藍玉手板
文久元年(1861年)
おそらく武州
33ページ(内31ページに 藍玉見本 有り)
± W9 D1.8 L34.8 cm(表書きの向きに沿って測っています)
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